接上

6. 限り

限り的本意是“仅限于~”,但是特殊的用法可以表示“只要A,就B”,用法为:

動詞現在形+限り

例句:

1
大雨が降らない限り、試合をおこないます。(只要不下大雨,比赛就进行。)

7. 限りでは

限り的用法太多了,在这里又有新的用法:

動詞辞書形+限りでは
表示“据(某人)所(知、听说……),表示一种判断和评价的感觉

例句:

1
2
私が知っている限りでは、彼はとてもやさしい人だと思う。(据我所知,他是个很温柔的人。)
私が調べた限りでは、彼の生活は混乱してます。(据我调查,他的生活很混乱。)

8. かねる

かねる是一个动词后缀词,跟在动词后面用来表示该动词的否定语气,表示难以做某事,非常像“がたい”,但是不一样的地方在于:かねる可以同时表示客观或者主观上的原因而不能做某事

例句:

1
グループの成績を影響するので、私が自分で決めかねします。(因为回影响到小组的成绩,我很难自己做决定。)
  • 因此,延申出另一个语法就是“かねない”,表示“有可能做某事”,大致等于かもしれない

9. ~げ

同样是一个后缀词,用来表示“~的样子、~的感觉”,接续可以接在形容词和动词之后,接续形式如下:

一类动词去い+げ
二类形容词去な+げ
动词去ます+げ

  • 但是要注意,ない いい要变成なさ よさ再加げ
  • 而且,该用法只能用于形容的样子或者感情

例如:

1
2
3
意味ありげ(意味深长)
自信なさげ(好像没有自信)
くるしげ(有点难受)

10. ざるを得ない

ざるを得ない表示“不得不做某事”,也是跟在动词后面,不过动词词根的形式是否定形去ない,ざる是古时候的用法,表示动词的否定。

例如:

1
2
3
言わざるを得ない(不得不说)
せざるを得ない(不得不做)
働かざるを得ない(不得不工作)

夜読み計画 day2

今日の本は:「女生徒」ーー太宰 治
link:女生徒 青空文库
汉译本:女生徒 汉译本

读书笔记

中文选段

吃完饭,关好门上学去。尽管觉得应该不会下雨,可因为太想带着昨天从母亲那里要来的漂亮雨伞走在路上,于是还是带上了它。这把西式雨伞是母亲少女时代用过的,翻出来这把漂亮的伞,让我有些得意扬扬,我真想撑着这把伞行走在巴黎的街道上。等眼下这场战争结束,这种带有梦幻色彩的复古雨伞想必一定会流行的。这种雨伞与系带的无边软帽想必非常般配。穿上粉红色的长摆、大开襟连衣裙,戴着黑绸蕾丝长手套,宽宽的帽檐上插一枝紫花地丁,我就这样,在浓荫的季节踩着巴黎的街道去餐馆吃午餐。在我慵懒地托着腮,望着窗外交错的人流时,有人轻轻拍了拍我的肩头。瞬霎间音乐响起,《南国玫瑰圆舞曲》[5]——哦!太可笑了!太可笑了!可惜现实中只有一把老气而外形奇特的长柄雨伞。我真是凄惨可怜!就好像卖火柴的女孩。喂喂,还是去拔草吧!

出门时,顺手将门前的草拔掉了一些,算是为母亲做一点小小贡献,说不定今天会发生什么好事情呢。同样是草,为什么有的我这么想拔掉它们,有的我却悄悄留了它们一条生路呢?可爱的草与不可爱的草,外形上没有任何区别,可为什么有的会让人怜悯,有的却令人生厌呢?毫无道理嘛。女人的喜欢或者讨厌,实在是靠不住的。

结束了十分钟的劳作,我急急地朝车站方向走去。穿过田埂路时,我忍不住想要画画。途中,我穿过神社前的森林小道,这是我独自发现的一条近道。从林间小道走过,不经意地看了看脚下,到处是一丛一丛的麦苗,约有两寸来长。看到青青的小苗,就知道今年又有军队从这儿经过。去年就有许多军人和马匹来到这儿,在神社前的这片森林中歇息。过了一阵子后来这里一看,森林中很快长出了一片麦苗,就像今天这样子。不过,这些麦苗不会再继续生长的。今年这些麦苗同样是从军队马匹驮着的粮草袋中散落在地长出来的,森林里很昏暗,细挑的麦苗完全照射不到阳光,长到这样高很快便会死去,真可怜。

穿过神社前的森林小道,在车站附近,碰上四五名工人,他们像往常一样,朝我吐着学都没法学的粗鄙的话,让我一时不知如何才好。我想赶上这些工人,一点点走到他们前面去,但如果那样,势必得从他们的缝隙中间穿过,和他们贴身挤撞。太可怕了。虽说如此,但若是默默停下不走,让工人们先走过去以便与他们拉开一定距离,则更需要足够的胆量,因为那样做无异于对他们失礼了,说不定会惹怒工人们。我浑身发烫,紧张得差一点哭出来,可又不好意思让人看到我哭的丑态,只得对着工人们强挤出一副笑容,随后缓步跟在他们后面。当时虽说就这么对付过去了,但直到乘上电车,那份懊丧仍没有随之消逝。我暗暗期盼自己赶快变得坚强起来、不卑不亢,好再面对这类无聊事情的时候能淡然处之。

紧挨车门旁有个空座,我将书包轻轻地放在座上,然后捋了捋裙褶,正准备坐下去,一个戴眼镜的男人毫不客气地将我的书包挪开,一屁股坐了下去。

“对不起,这个、是我先找到的座位……”男人听了,只是苦笑一笑,便若无其事地看起报纸来。仔细想想,还真不好说是谁厚脸皮,也许厚脸皮的是我呢。

没办法,我只得将雨伞和书包搁到行李架上,单手拉着皮吊环,像往常一样,打算翻阅杂志消磨时间。一只手随意翻着杂志,脑子里却想着些古里古怪的事。

假设就以自己读书这件事来说的话,毫无涉世经验的我恐怕只能堆起一副哭丧脸了吧。我对书上所写的东西太过信赖,读了一本书,我就会一下子耽于其中而难以自拔,深信、同化、共鸣,并将它照搬到日常生活中来。换了一本书读,又一个一百八十度转弯,完全变成了另一副嘴脸。窃取他人的想法,毫不犹豫地拿来变成自己的想法,这种才能、这种小聪明,便是我唯一的擅长之技。说真的,我已经厌烦了这种小聪明、偷奸耍滑。日复一日,每天反复不断地出错失败、经历过各种丢人现眼,或许才能变得沉稳一些。然而,即使经历种种失败,看来我也能牵强附会找一个理由,加以一番巧妙的敷衍,瞎编出一套煞有介事的理论,扬扬自得地演一出又肤浅又蹩脚的戏码来。

(我从某本书上读到过类似的话)

我不知道哪一个才是真正的自己。没有了可读的书,找不到效仿的样板时,我会怎么样?大概会一筹莫展,整日蜷局瑟缩着,涕泗横流吧。总之,每天在电车里都会这样不着边际地胡思乱想,真是糟糕透了。讨厌,身上的余温未退,仍感觉到有点发热——我知道自己必须做点什么,无论如何必须做点什么,但究竟怎样,才能明确地找到自我?之前的自我批评实在是毫无意义,当试着自我批评时,一旦触及讨厌的自身的缺点,立刻又坚决不起来,反而耽悦其中,自顾自怜,最后得出结论是不该磨瑕毁玉,所以压根儿谈不上自我批评。这样一来,反倒是什么都不想、毫无反省更好一些呢。

这本杂志里有一组题为《年轻女孩的缺点》的文章,有各种各样的人投稿,读着读着会情不自禁感到羞赧,好像他们在说我一样。这些投稿者人分各色,平时让人感觉愚笨的人果然写出来的文字也透着傻气,看照片感觉很时尚的人用的字眼也很时尚,非常滑稽,我一面读一面时不时会嗤嗤发笑。宗教家动辄搬出他的信仰,教育家从头到脚离不开恩呀恩的,政治家卖弄汉诗,作家则拿腔捏调地炫示华丽的辞藻……真有意思。

然而,所有人写的都没错:缺少个性;缺少内涵;与正当的欲望、正当的野心那类东西相去甚远,换句话说,就是缺少理想;虽然有时候也会自我批评,但并不懂得积极地与自己的生活实际联系起来;缺少反省;缺少真正的自觉、自爱、自重;敢于鼓起勇气去行动,但对行动的结果敢不敢负责任就不好说了;能顺应自己周遭的生活方式并善于加以改造,但对自己和周遭的生活方式却没有执着的热情;缺少真正的谦逊;缺少独创性;一味模仿;缺少人类天性中应有的“爱”这种意识;假装高雅,实际上一点也不高雅……此外还有很多。说真的,很多文字读了令人蓦然顿悟,根本无力反驳。

不过,这上面所有的文字感觉都很乐观,似乎一点也不带有他们平时的情绪,他们只是为写而写。文章里多处出现“真正的”“应有的”这类限制定语,但“应有的”爱、“真正的”自觉究竟是什么呢?却没有一目了然地写明白。也许他们是知道的。倘若真是这样,如果说得再具体一点,用一句话,往左还是往右,就一句话,权威性地为我们做出指示来,那该多好啊。我们已经迷失了爱的表达法则,所以不要说这样不行、那样不行,而是坚定地告诉我们必须这样做、那样做的话,我们全都会遵从照办的。或许大家都缺乏自信,向杂志投稿发表意见的人,大概在任何时候、任何场合,也都不会说出“我认为应当如何如何”。虽然被指责说缺少正当的欲望、正当的野心,可一旦我们付诸行动去追求正确理想的时候,他们又能给予我们多少关注、给予我们多少指引呢。

尽管眼下还有些朦胧不清,对我们而言,我们知道什么才是应该去往的理想之所、什么才是自己向往的美好之所、什么才是能令自己成熟成长之所。我们想拥有好的生活。正因如此,我们是怀有正当的欲望、正当的野心的,只是想赶快觅得一个值得依赖、不容动摇的信念。然而,一个女生要将这些全部通过自己的生活去实现,需要付出多么巨大的努力啊,因为不得不考虑母亲、父亲、姐姐、哥哥们的想法(虽然口头上有时候会略嫌他们古板,但对人生的前辈、老人、已婚人士绝不敢怀有半点轻视,非但如此,甚至常常自愧不如拜服不止呢),还有切断不掉生活往来的亲戚,还有各种认识的人,还有朋友,此外,还有永远以一股强大力量驱使我们往前、被称为“世道”的东西。想到、看到、再思考一下所有这些因素,所谓舒展自己的个性岂是件轻而易举的事情,现实令人不得不意识到,去锋藏芒,不声不响地沿着大多数人所走的路规步前行,这才是最巧捷的做法,而将面向少数人的教育广施大众,不啻是种残毒的行为。随着年龄渐增,我逐渐明白,学校的修身教育与社会的既有规范大不一样,一味遵从学校所学的道德,这样的人会吃亏上当的,也会被视作怪人,成不了才,贫困一辈子。不说谎的人有么?倘若有,他永远只能是个失败者。在我的私亲当中,有个品行端正、怀有坚定的信念、追求理想、堪称真正活得很有意义的人,却遭到所有亲戚的耻笑,视其为笨伯一个。我自然无法做到明知会被众人视为笨蛋、背负一个失败的人生,仍不顾母亲和众人的反对,一味按照自己的意志去行事。小时候,当我发现自己的想法和众人截然不同时,曾问过母亲“为什么?”其时,母亲非常生气地一句话就给我顶了回来:“你太可恶了,简直像个品行不端的野孩子!”看得出,母亲很替我感到悲哀。我还问过父亲,当时父亲只是笑了笑,没有言语,听说后来他对母亲说我是个“偏离常识的小孩”。随着一点点长大,我变得谨小慎微、依违不决起来,哪怕做一件衣服,也要顾虑到每一个人的感受。虽说暗地里珍惜自己身上仅有的一点个性,祈盼能一直保持下去,却不敢明明白白地表达出来。我总想成为众人心目中的好女孩。和大家在一起的时候,我低声下气到极点,一叠连声地说着自己并不想说、违背本意的话,因为我觉得这样说不会吃亏。我真的很讨厌这样。倘若道德规范能早日彻底转变就好了,那样我就不用再这样低声下气,也不用因为顾忌别人的想法而成天过着赧然汗下的生活了。

唷,那边的座位空出来了。我连忙从行李架上取下书包和雨伞,敏捷地坐了过去。右首是个中学生,左首是个身穿无领短棉罩衣、背着个婴儿的太太。这个太太一把年岁了,却还化着厚厚的妆、盘着时兴的发型,脸倒长得很漂亮,但脖颈下堆挤着黑黑的皱纹,简直不堪入目,恶心极了,让人恨不能上去扇她两下。

人站的时候与坐着的时候思考的事竟会截然不同。一坐下来,脑子里想的尽是些窝里窝囊的无聊事情。我对面位子上坐着四五个看上去年龄相仿的上班族,愣怔怔的,估摸着大概三十上下吧。他们个个让人讨厌,眼神迷离,一副睡意惺忪的样子,一点都不精神。但假设我现在对他们中的一个投以莞尔一笑,说不定仅凭这一个举动,我就会陷入被生拉硬扯着非同那人结婚不可的困境。女人决定自己的命运,仅凭一个微笑就足够了。太可怕了,真是不可思议。我必须小心。

今天脑子里想的,尽是些滑稽可笑的事。此刻眼前忽然浮现出两三天前来家里修剪庭院的花匠的脸来,赶也赶不走。他从头到脚都是花匠的装束,但那张脸却怎么看也不像,夸张点说,他的脸宛若思想家:肤色黝黑,看起来很结实,眼睛很漂亮,眉距稍窄,鼻头塌得厉害,好在与黝黑的肌肤配在一起,反而显得意志坚强,嘴唇的形状也好看,耳朵上沾了点污泥,只有看到那双手才让人回过神来意识到他是个花匠,但那戴着黑色软帽站在树荫下的那张脸,令人觉得他当一名花匠真是可惜了。我曾再三向母亲打听他是不是一直就是花匠,最后还被母亲斥责了一通。

今早拿来裹书的包袱布是那个花匠第一次来我家那天,我向母亲要来的。那天家里大扫除,厨房改造的工人、榻榻米翻修的工人都来到家中,母亲将衣橱收拾整理了一番,于是翻出这枚包袱布,我从母亲那里要了来。这是枚漂亮的包袱布,女气十足。这么漂亮的包袱布结成一团太可惜了,我坐着,将它搁在膝上反反复复静静地看着,抚摸着,我想让整节车厢的人都看到它,可是没有人看它一眼。这么可爱的包袱布,谁要是肯凝视它几眼,我嫁给他都行啊。

想到“本能”这个词,我就忍不住想哭。本能的力量之强大,我们的意志根本无法控制,当我通过许多事例渐渐明白这一点后,我几乎绝望到要发疯。应该怎么办?我感到困惑,不能否定,也无法肯定,感觉似乎有个硕大无朋的东西压在头顶上,并且随心所欲地拉着我到处走,此时我的心情既因为被拉着走而满足,与此同时,也仿佛带着悲哀的心情冷漠旁观一般。为什么我们不能自我满足、一生只爱自己一个人呢?看着本能将我以前的感情、理性一点点吞蚀掉,真叫人可悲可叹。哪怕将自我稍许忘却,其后我都会感觉极度的衰颓,使我清楚地意识到,这样的自我、那样的自我原来都潜匿着本能,我不禁掩面欲泣,差一点哭爹喊娘。并且,真实这东西往往出乎意料地就存在于自己讨厌的事实中,这尤其令人叹憾。

日文选段

ごはんをすまして、戸じまりして、登校。大丈夫、雨が降らないとは思うけれど、それでも、きのうお母さんから、もらったよき雨傘どうしても持って歩きたくて、そいつを携帯。このアンブレラは、お母さんが、昔、娘さん時代に使ったもの。面白い傘を見つけて、私は、少し得意。こんな傘を持って、パリイの下町を歩きたい。きっと、いまの戦争が終ったころ、こんな、夢を持ったような古風のアンブレラが流行するだろう。この傘には、ボンネット風の帽子が、きっと似合う。ピンクの裾《すそ》の長い、衿《えり》の大きく開いた着物に、黒い絹レエスで編んだ長い手袋をして、大きな鍔《つば》の広い帽子には、美しい紫のすみれをつける。そうして深緑のころにパリイのレストランに昼食をしに行く。もの憂《う》そうに軽く頬杖して、外を通る人の流れを見ていると、誰かが、そっと私の肩を叩《たた》く。急に音楽、薔薇のワルツ。ああ、おかしい、おかしい。現実は、この古ぼけた奇態な、柄《え》のひょろ長い雨傘一本。自分が、みじめで可哀想。マッチ売りの娘さん。どれ、草でも、むしって行きましょう。
 出がけに、うちの門のまえの草を、少しむしって、お母さんへの勤労奉仕。きょうは何かいいことがあるかも知れない。同じ草でも、どうしてこんな、むしりとりたい草と、そっと残して置きたい草と、いろいろあるのだろう。可愛い草と、そうでない草と、形は、ちっとも違っていないのに、それでも、いじらしい草と、にくにくしい草と、どうしてこう、ちゃんとわかれているのだろう。理窟はないんだ。女の好ききらいなんて、ずいぶんいい加減なものだと思う。十分間の勤労奉仕をすまして、停車場へ急ぐ。畠道を通りながら、しきりと絵が画きたくなる。途中、神社の森の小路を通る。これは、私ひとりで見つけて置いた近道である。森の小路を歩きながら、ふと下を見ると、麦が二寸ばかりあちこちに、かたまって育っている。その青々した麦を見ていると、ああ、ことしも兵隊さんが来たのだと、わかる。去年も、たくさんの兵隊さんと馬がやって来て、この神社の森の中に休んで行った。しばらく経ってそこを通ってみると、麦が、きょうのように、すくすくしていた。けれども、その麦は、それ以上育たなかった。ことしも、兵隊さんの馬の桶からこぼれて生えて、ひょろひょろ育ったこの麦は、この森はこんなに暗く、全く日が当らないものだから、可哀想に、これだけ育って死んでしまうのだろう。
 神社の森の小路を抜けて、駅近く、労働者四、五人と一緒になる。その労働者たちは、いつもの例で、言えないような厭な言葉を私に向かって吐きかける。私は、どうしたらよいかと迷ってしまった。その労働者たちを追い抜いて、どんどんさきに行ってしまいたいのだが、そうするには、労働者たちの間を縫ってくぐり抜け、すり抜けしなければならない。おっかない。それと言って、黙って立ちんぼして、労働者たちをさきに行かせて、うんと距離のできるまで待っているのは、もっともっと胆力の要《い》ることだ。それは失礼なことなのだから、労働者たちは怒るかも知れない。からだは、カッカして来るし、泣きそうになってしまった。私は、その泣きそうになるのが恥ずかしくて、その者達に向かって笑ってやった。そして、ゆっくりと、その者達のあとについて歩いていった。そのときは、それ限りになってしまったけれど、その口惜《くや》しさは、電車に乗ってからも消えなかった。こんなくだらない事に平然となれるように、早く強く、清く、なりたかった。
 電車の入口のすぐ近くに空いている席があったから、私はそこへそっと私のお道具を置いて、スカアトのひだをちょっと直して、そうして坐ろうとしたら、眼鏡の男の人が、ちゃんと私のお道具をどけて席に腰かけてしまった。
「あの、そこは私、見つけた席ですの」と言ったら、男は苦笑して平気で新聞を読み出した。よく考えてみると、どっちが図々しいのかわからない。こっちの方が図々しいのかも知れない。
 仕方なく、アンブレラとお道具を、網棚に乗せ、私は吊り革にぶらさがって、いつもの通り、雑誌を読もうと、パラパラ片手でペエジを繰っているうちに、ひょんな事を思った。
 自分から、本を読むということを取ってしまったら、この経験の無い私は、泣きべそをかくことだろう。それほど私は、本に書かれてある事に頼っている。一つの本を読んでは、パッとその本に夢中になり、信頼し、同化し、共鳴し、それに生活をくっつけてみるのだ。また、他の本を読むと、たちまち、クルッとかわって、すましている。人のものを盗んで来て自分のものにちゃんと作り直す才能は、そのずるさは、これは私の唯一の特技だ。本当に、このずるさ、いんちきには厭になる。毎日毎日、失敗に失敗を重ねて、あか恥ばかりかいていたら、少しは重厚になるかも知れない。けれども、そのような失敗にさえ、なんとか理窟をこじつけて、上手につくろい、ちゃんとしたような理論を編み出し、苦肉の芝居なんか得々《とくとく》とやりそうだ。
(こんな言葉もどこかの本で読んだことがある)
 ほんとうに私は、どれが本当の自分だかわからない。読む本がなくなって、真似するお手本がなんにも見つからなくなった時には、私は、いったいどうするだろう。手も足も出ない、萎縮《いしゅく》の態で、むやみに鼻をかんでばかりいるかも知れない。何しろ電車の中で、毎日こんなにふらふら考えているばかりでは、だめだ。からだに、厭な温かさが残って、やりきれない。何かしなければ、どうにかしなければと思うのだが、どうしたら、自分をはっきり掴《つか》めるのか。これまでの私の自己批判なんて、まるで意味ないものだったと思う。批判をしてみて、厭な、弱いところに気附くと、すぐそれに甘くおぼれて、いたわって、角《つの》をためて牛を殺すのはよくない、などと結論するのだから、批判も何もあったものでない。何も考えない方が、むしろ良心的だ。
 この雑誌にも、「若い女の欠点」という見出しで、いろんな人が書いて在る。読んでいるうちに、自分のことを言われたような気がして恥ずかしい気にもなる。それに書く人、人によって、ふだんばかだと思っている人は、そのとおりに、ばかの感じがするようなことを言っているし、写真で見て、おしゃれの感じのする人は、おしゃれの言葉遣いをしているので、可笑《おか》しくて、ときどきくすくす笑いながら読んで行く。宗教家は、すぐに信仰を持ち出すし、教育家は、始めから終りまで恩、恩、と書いてある。政治家は、漢詩を持ち出す。作家は、気取って、おしゃれな言葉を使っている。しょっている。
 でも、みんな、なかなか確実なことばかり書いてある。個性の無いこと。深味の無いこと。正しい希望、正しい野心、そんなものから遠く離れている事。つまり、理想の無いこと。批判はあっても、自分の生活に直接むすびつける積極性の無いこと。無反省。本当の自覚、自愛、自重がない。勇気のある行動をしても、そのあらゆる結果について、責任が持てるかどうか。自分の周囲の生活様式には順応し、これを処理することに巧みであるが、自分、ならびに自分の周囲の生活に、正しい強い愛情を持っていない。本当の意味の謙遜がない。独創性にとぼしい。模倣だけだ。人間本来の「愛」の感覚が欠如してしまっている。お上品ぶっていながら、気品がない。そのほか、たくさんのことが書かれている。本当に、読んでいて、はっとすることが多い。決して否定できない。
 けれどもここに書かれてある言葉全部が、なんだか、楽観的な、この人たちの普段の気持とは離れて、ただ書いてみたというような感じがする。「本当の意味の」とか、「本来の」とかいう形容詞がたくさんあるけれど、「本当の」愛、「本当の」自覚、とは、どんなものか、はっきり手にとるようには書かれていない。この人たちには、わかっているのかも知れない。それならば、もっと具体的に、ただ一言、右へ行け、左へ行け、と、ただ一言、権威をもって指で示してくれたほうが、どんなに有難《ありがた》いかわからない。私たち、愛の表現の方針を見失っているのだから、あれもいけない、これもいけない、と言わずに、こうしろ、ああしろ、と強い力で言いつけてくれたら、私たち、みんな、そのとおりにする。誰も自信が無いのかしら。ここに意見を発表している人たちも、いつでも、どんな場合にでも、こんな意見を持っている、というわけでは無いのかもしれない。正しい希望、正しい野心を持っていない、と叱って居られるけれども、そんなら私たち、正しい理想を追って行動した場合、この人たちはどこまでも私たちを見守り、導いていってくれるだろうか。
 私たちには、自身の行くべき最善の場所、行きたく思う美しい場所、自身を伸ばして行くべき場所、おぼろげながら判っている。よい生活を持ちたいと思っている。それこそ正しい希望、野心を持っている。頼れるだけの動かない信念をも持ちたいと、あせっている。しかし、これら全部、娘なら娘としての生活の上に具現しようとかかったら、どんなに努力が必要なことだろう。お母さん、お父さん、姉、兄たちの考えかたもある。(口だけでは、やれ古いのなんのって言うけれども、決して人生の先輩、老人、既婚の人たちを軽蔑なんかしていない。それどころか、いつでも二目《にもく》も三目《さんもく》も置いているはずだ)始終生活と関係のある親類というものも、ある。知人もある。友達もある。それから、いつも大きな力で私たちを押し流す「世の中」というものもあるのだ。これらすべての事を思ったり見たり考えたりすると、自分の個性を伸ばすどころの騒ぎではない。まあ、まあ目立たずに、普通の多くの人たちの通る路をだまって進んで行くのが、一ばん利巧なのでしょうくらいに思わずにはいられない。少数者への教育を、全般へ施《ほどこ》すなんて、ずいぶんむごいことだとも思われる。学校の修身と、世の中の掟《おきて》と、すごく違っているのが、だんだん大きくなるにつれてわかって来た。学校の修身を絶対に守っていると、その人はばかを見る。変人と言われる。出世しないで、いつも貧乏だ。嘘をつかない人なんて、あるかしら。あったら、その人は、永遠に敗北者だ。私の肉親関係のうちにも、ひとり、行い正しく、固い信念を持って、理想を追及してそれこそ本当の意味で生きているひとがあるのだけれど、親類のひとみんな、そのひとを悪く言っている。馬鹿あつかいしている。私なんか、そんな馬鹿あつかいされて敗北するのがわかっていながら、お母さんや皆に反対してまで自分の考えかたを伸ばすことは、できない。おっかないのだ。小さい時分には、私も、自分の気持とひとの気持と全く違ってしまったときには、お母さんに、
「なぜ?」と聴《き》いたものだ。そのときには、お母さんは、何か一言《ひとこと》で片づけて、そうして怒ったものだ。悪い、不良みたいだ、と言って、お母さんは悲しがっていたようだった。お父さんに言ったこともある。お父さんは、そのときただ黙って笑っていた。そしてあとでお母さんに「中心はずれの子だ」とおっしゃっていたそうだ。だんだん大きくなるにつれて、私は、おっかなびっくりになってしまった。洋服いちまい作るのにも、人々の思惑を考えるようになってしまった。自分の個性みたいなものを、本当は、こっそり愛しているのだけれども、愛して行きたいとは思うのだけど、それをはっきり自分のものとして体現するのは、おっかないのだ。人々が、よいと思う娘になろうといつも思う。たくさんの人たちが集まったとき、どんなに自分は卑屈になることだろう。口に出したくも無いことを、気持と全然はなれたことを、嘘ついてペチャペチャやっている。そのほうが得《とく》だ、得だと思うからなのだ。いやなことだと思う。早く道徳が一変するときが来ればよいと思う。そうすると、こんな卑屈さも、また自分のためでなく、人の思惑のために毎日をポタポタ生活することも無くなるだろう。
 おや、あそこ、席が空いた。いそいで網棚から、お道具と傘をおろし、すばやく割りこむ。右隣は中学生、左隣は、子供背負ってねんねこ着ているおばさん。おばさんは、年よりのくせに厚化粧をして、髪を流行まきにしている。顔は綺麗なのだけれど、のどの所に皺《しわ》が黒く寄っていて、あさましく、ぶってやりたいほど厭だった。人間は、立っているときと、坐っているときと、まるっきり考えることが違って来る。坐っていると、なんだか頼りない、無気力なことばかり考える。私と向かい合っている席には、四、五人、同じ年齢《とし》恰好のサラリイマンが、ぼんやり坐っている。三十ぐらいであろうか。みんな、いやだ。眼が、どろんと濁っている。覇気《はき》が無い。けれども、私がいま、このうちの誰かひとりに、にっこり笑って見せると、たったそれだけで私は、ずるずる引きずられて、その人と結婚しなければならぬ破目におちるかも知れないのだ。女は、自分の運命を決するのに、微笑一つでたくさんなのだ。おそろしい。不思議なくらいだ。気をつけよう。けさは、ほんとに妙なことばかり考える。二、三日まえから、うちのお庭を手入れしに来ている植木屋さんの顔が目にちらついて、しかたがない。どこからどこまで植木屋さんなのだけれど、顔の感じが、どうしてもちがう。大袈裟に言えば、思索家みたいな顔をしている。色は黒いだけにしまって見える。目がよいのだ。眉もせまっている。鼻は、すごく獅子っぱなだけれど、それがまた、色の黒いのにマッチして、意志が強そうに見える。唇のかたちも、なかなかよい。耳は少し汚い。手といったら、それこそ植木屋さんに逆もどりだけれど、黒いソフトを深くかぶった日蔭の顔は、植木屋さんにして置くのは惜しい気がする。お母さんに、三度も四度も、あの植木屋さん、はじめから植木屋さんだったのかしら、とたずねて、しまいに叱られてしまった。きょう、お道具を包んで来たこの風呂敷は、ちょうど、あの植木屋さんがはじめて来た日に、お母さんからもらったのだ。あの日は、うちのほうの大掃除だったので、台所直しさんや、畳屋さんもはいっていて、お母さんも箪笥《たんす》のものを整理して、そのときに、この風呂敷が出て来て、私がもらった。綺麗な女らしい風呂敷。綺麗だから、結ぶのが惜しい。こうして坐って、膝の上にのせて、何度もそっと見てみる。撫でる。電車の中の皆の人にも見てもらいたいけれど、誰も見ない。この可愛い風呂敷を、ただ、ちょっと見つめてさえ下さったら、私は、その人のところへお嫁に行くことにきめてもいい。本能、という言葉につき当ると、泣いてみたくなる。本能の大きさ、私たちの意志では動かせない力、そんなことが、自分の時々のいろんなことから判って来ると、気が狂いそうな気持になる。どうしたらよいのだろうか、とぼんやりなってしまう。否定も肯定もない、ただ、大きな大きなものが、がばと頭からかぶさって来たようなものだ。そして私を自由に引きずりまわしているのだ。引きずられながら満足している気持と、それを悲しい気持で眺めている別の感情と。なぜ私たちは、自分だけで満足し、自分だけを一生愛して行けないのだろう。本能が、私のいままでの感情、理性を喰ってゆくのを見るのは、情ない。ちょっとでも自分を忘れることがあった後は、ただ、がっかりしてしまう。あの自分、この自分にも本能が、はっきりあることを知って来るのは、泣けそうだ。お母さん、お父さんと呼びたくなる。けれども、また、真実というものは、案外、自分が厭だと思っているところに在るのかも知れないのだから、いよいよ情ない。